11月に開催される祭り
11月に全国で開かれる祭りの中から、いくつかをピックアップして紹介します。
夕刻になると無数の提灯に明かりが灯る豊川稲荷秋季大祭豊年感謝と国家安泰・万民豊富を祈願する豊川稲荷の秋季大祭です。「大提灯まつり」とも称され、高さ10メートル・直径5メートルの大提灯をはじめ大小無数の提灯が境内に掲げられます。夕刻に行われる灯入れ奉納とともに点灯された境内は、独特の趣を漂わせます。 祭りの一週間前から水をかぶって心身を清めた僧たちが、連日午前4時と午後3時に大祈祷会を行います。祭り当日は国家安泰・万民豊富を祈る祈祷ののち、本殿から鎮守堂へ神輿の渡御行列が繰り出します。きらびやかな稚児行列も境内を彩ります。また、境内では白狐祭も催されます。詳細を見る
天神さまが載られた御網代車が街を練り歩く山口天神祭応安6年(1373年)の古熊神社御鎮座以来、約650年にわたり続く祭りです。神役初参式から例祭までの約一週間にわたる神事の総称で、御神幸祭と例祭を中心に構成されます。 11月17日の神役初参式では新旧の神役4名が盃を交わして引き継ぎを行い、御祭神の御分霊を祀った若宮が各神役宅へ渡されます。22日の花神子式・湯断神事では前夜祭として神役が酒と菊花を供え、夜に御神霊を御網代車へ遷します。23日の御神幸祭では、御網代車に乗った天神さまが山口の街を巡幸します。江戸時代に毛利氏が参勤交代の際に御神幸行列を警護した故事にならい、参勤交代を模した約300名の大行列が中心部を練り歩きます。25日の例祭では九品の熟饌を供え、一年の無事と五穀豊穣への感謝を申し上げて締めくくります。詳細を見る
防府天満宮御神幸祭(裸坊祭)防府天満宮の最重要神事で、1000年以上の歴史を持ちます。 起源は菅原道真公の生涯と結びついています。昌泰4年(901年)、左遷の途中に勝間の浦へ着船した道真公は「松崎の地に住まい、無実の知らせを待ちたい」と望みましたが、延喜3年(903年)に太宰府で薨去。翌年、松崎の地に防府天満宮が建立されました。都では道真公への贈位が行われたものの防府への知らせは届かず、百年後の寛弘元年(1004年)、一条天皇の勅使が派遣されて初めて「無実の罪」が奏上されました。御神幸祭はこの勅使降祭を起源とし、道真公に「無実の知らせ」を伝える祭りとして受け継がれています。 江戸時代後期、天神信仰の高まりとともに一般民衆も奉仕を熱望するようになり、佐波川の冷水で身を清めてそのまま奉仕する姿から「裸坊」と呼ばれるようになりました。現在は白装束の裸坊約5000人が「兄弟ワッショイ!」の掛け声とともに勝間の浦まで往復し、重さ500kgの御網代輿が58段の大石段を滑り降ります。詳細を見る- 神輿行列や奉納踊りが披露される佐世保くんち古くから西海の守護神として崇敬されてきた亀山八幡宮の神霊を慰め、豊作や無病息災を祈る神事として営まれてきました。「くんち」という呼び名は、陰陽の調和が保たれるとされる重陽の節句にあたる日を意味する「九日」に由来するとの説が伝えられています。 神事では、神輿や獅子、神馬に乗った宮司、踊り町による奉納踊りからなる行列が氏子域を巡り、御旅所との間を行き来します。往路にあたる行列では笛や太鼓の音とともに商店街や大通りを進み、道中では奉納団体による踊りや剣舞、演奏などが披露されます。 清めの神事では、湧き出る湯を氏子や参拝者に振りかけ、一年の息災を願う儀式が営まれます。復路の行列には、地域有志による蛇を模した踊りが加わり、沿道で舞を奉納しながら神社へと戻ります。この行事は、港町として発展してきた地域の暮らしと深く結びつき、氏神への感謝を表す秋の神事として受け継がれています。詳細を見る
- 五穀豊穣を願う伝統的な例大祭南伊豆太鼓まつり氏神を祀る営みは千年以上前にさかのぼるとされ、町内には由緒を持つ神社が数多く残されています。神無月には全国の神々が縁結びの話し合いのため出雲大社へ集い、各地には留守を預かる神だけが残るといわれます。神々が戻る翌月は神帰月や神来月とも呼ばれ、この時期に五穀豊穣を祈る例大祭が各地区の神社で営まれます。祭りの形は地区ごとに異なり、笛や太鼓の囃子に合わせて太鼓台や花車などの山車が集落を巡ります。地区によっては神楽や三番叟、大名行列、篭獅子なども奉納され、行われる時間帯もそれぞれです。各地区が独自の特色を持つ祭礼を守り続けることで、地域の伝統文化が今日まで受け継がれています。詳細を見る
- 尾道ベッチャー祭り広島県尾道市の吉備津彦神社(通称「一宮さん」)で行われる奇祭で、尾道市無形民俗文化財に指定されています。 起源は1807年(文化4年)。尾道で疫病が流行した際、奉行の南部藤左衛門が各寺社に病魔退散のお祓いを命じました。吉備津彦神社では三日二夜のお祓いが行われ、その修祓の日にベタ(武悪)・ソバ(大蛇)・ショーキー(天狗)の三鬼神と獅子頭を先導に神輿が街へ繰り出したことが始まりとされています。祭り名「ベッチャー」は、三鬼神の中で最も格式が高いベタの平べったい顔が尾道方言で「べちゃー」と呼ばれることに由来します。 3日目には三鬼神と獅子を先頭に神輿が市中を練り歩きます。子どもを見つけると「ささら」や「祝棒」で頭を叩いたり体を突いたりし、ささらで叩かれると頭が良くなる・丈夫に育つ、祝棒で突かれると子宝・無病息災のご利益があると伝わります。詳細を見る
- 桧の獅子舞徳島県の大麻比古神社に伝わる獅子舞で、400年以上の歴史を持ちます。農作物の豊作と邪気払いを祈願して神社に奉納したことが始まりとされます。 別名「夫婦獅子」とも呼ばれ、2匹の獅子が太鼓や拍子木の音に合わせて5つの舞を披露します。五穀豊穣と家内安全を祈る奉納行事で、大麻比古神社の年間神事のなかで最も重要な例祭の日に執り行われます。詳細を見る
- 戸立祭祭礼の際、村人が戸を閉めて参加したことに由来するとされる祭りです。櫛玉比女命神社で古くから継承されてきました。 四つの地区それぞれのだんじりが繰り出し、伊勢音頭を唄いながら曳かれる点に特徴があります。宵宮では、太鼓と鐘の音に合わせてだんじりが神社の入り口から本殿へ向けて勢いよく進み、本殿の手前で止まると、神主や巫女による祈祷を受けます。当日は沿道に夜店も並びます。詳細を見る
- 唐津くんち唐津神社の秋季例大祭です。「くんち」とは秋の実りを神に供える「供日(くにち)」が訛ったもの、あるいは神社の祭礼日を指す「宮日」に由来するとも言われています。 唐津神社は天平勝宝7年(755年)創建で、海上安全を守る住吉三神などが祀られています。神社創建を祝う御神幸(神輿渡御)は寛文年間(1661〜73年)頃に始まったとされ、これが祭りの原型です。当初は傘鉾などが御神輿に供する出し物として登場し、やがて車付き台車に作り物を乗せた「走り山」へと発展しました。 現在の曳山は文政2年(1819年)、刀町が赤獅子を奉納したことに始まり、明治9年までの57年間に15台が製作されました。1台が失われ、現在14台が現存しています。木組みと粘土で原形を作り、和紙を数百回張り重ね、漆や金銀を施して仕上げるもので、製作には3年前後を要し重さは2〜4トンに及びます。国の重要無形民俗文化財に指定されています。 「エンヤ、エンヤ」「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声とともに曳き子が14台の曳山を曳き、笛・太鼓・鉦の囃子が旧城下町に響き渡ります。詳細を見る
読みもの
実際に祭りを訪ねたレポートや、祭りの歴史・楽しみ方を伝えるコラムをお届けしています。
山車・屋台・神輿・だんじりの違いとは?種類ごとの意味・由来・特徴をわかりやすく解説山車・屋台・だんじり・曳山はどれも「人が曳く(引く)神様の目印」、神輿だけは「人が担ぐ神様の乗り物」です。いちばん大きな違いは、神様がどこにいるかと、どうやって2026.10.23
山口県時代行列が秋の街を彩る山口三大まつり「山口天神祭」の御神幸祭山口県山口市の古熊(ふるくま)神社で行われる「山口天神祭」に行ってきました。山口天神祭は山口三大まつりの一つに数えられ、約650年の伝統を持つお祭りです。毎年12026.10.12
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祭りの多くは、毎年ほぼ同じ時期に開かれます。開催月ごとの一覧から、旅行や帰省の予定にあわせて祭りを探してみてください。
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祭りの日取りには、旧暦や暦の上の吉日と結びついたものも少なくありません。暦を手がかりに、祭りや行事の日を調べられます。
