江戸時代中期、由良に藩の米蔵が置かれ、年貢米を船に積み出す作業が村人の手によって行われていました。海路での輸送には危険が伴うことから、海上の安全を祈る信仰が厚く、地域の氏神においても古くから関連する祈願が行われていました。その後、別の地域で行われていた山車を見た村の有力者が同様のものを作ることを願い出て、許可を得て一台が作られたことが、この行事の始まりとされています。後にもう一台が加わり、町を巡るようになりましたが、現在は一台のみが用いられています。明治以降、米蔵としての役割が終わると、祭礼の意味合いも海上安全から五穀豊穣や家内安全へと変化していきました。 山車の前部には組み立て式の舞台が設けられ、稚児が太鼓を打ち、別の稚児が扇や旗を手に踊りを披露します。地区の青年や保護者らが山車を担い、地域内の決められた場所で舞台を設営し、踊りが奉納されます。
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