起源については諸説あり、坂上田村麻呂が蝦夷との戦いで灯籠を用いて威嚇したという説、豊作祈願・疫病払いとして米代川に灯籠を焼き流したという説などが伝わります。「ねぶながし」の語源としては、元禄時代(1690年頃)に子どもたちが旧暦7月6日の晩に「ねふねふ流れ、豆の葉にとまれ」と囃して歩いた「眠り流し」に由来するという説が広く知られています。記録としては寛保元年(1741年)の「代邑聞見録」に記述が確認でき、江戸末期には現在に近い形式が整ったとみられます。 行事は江戸時代から五町組による年番制で運営されており、各町が役目を担うことから「役七夕」と呼ばれます。この呼称は明治30年の日記に初出が確認されています。天保時代(1830年頃)には城郭型灯籠が考案され、シャチを頂いた城郭型の巨大灯籠が市街地を曳き回されるようになりました。翌日は米代川でシャチの灯籠を焼き流して締めくくります。
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