室町時代の永和元年(1375年)、会津地方に勢力を広げた蘆名氏7代当主・蘆名直盛が信濃国諏訪郡の諏方大社の分霊を勧請して社殿を建立したことに始まります。以来、例大祭では祝詞が奉じられ祭事が続けられてきました。農業が基幹産業であったこの地域では、虫追いに起源を持つお囃子の行事も加わり、江戸中期には大きな祭礼が行われていたと推測されます。 江戸末期の戊辰戦争で会津城下の祭礼が衰退し山車文化が消滅した一方、喜多方はその影響が比較的少なく山車文化が存続しました。明治中期から大正時代にかけて経済が上向くと商人を中心に各町内で山車が再興され、漆塗りや金箔による絢爛豪華な仕上がりが町内のステータスとなりました。地場産業である会津塗が多くの山車に施され、産業としても受け継がれています。 現在は氏子各町内の太鼓台(山車)が繰り出し、小学生から大人による祭り囃子を奏でながら域内を練り歩いて神社に集まります。
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